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屈斜路の親父

23歳で屈斜路後にやってきた僕。

右も左もわからない訳の分からん兄ちゃんが、田舎で自立し、今日まで何とかやってきた。

社会にポイっと飛び出してみたものの、今までは学生という身分だったり、どこかの組織の一員だったり、家族の一人としていつも誰かに守られていたわけだが、24歳の春、僕は世帯主になった。

 

そのころ周りの大人たちもまだ若かった。

40台後半から50代前半。

お酒を呑んだり、山に連れてってもらったり、いろいろ目をかけてもらってたと思う。

今思い出しても楽しかったし、屈斜路に住んで良かったなぁ、このままここに住んじゃおっかなぁと思わせてくれたのは、自然環境のすばらしさもあるが、やはり人だったと思う。

 

なかでも「のぉ」さんは農家さんで、春や秋には植え付け、収穫のアルバイトをさせてくれた。

のぉさんのトラクターの後ろに乗り、苗を補充したり、瞬時に切り芋を投入していく仕事など、いつもと違う仕事は楽しかったし、おじさんとおばさんとそのまた近所のおじさんたちと過ごす畑での時間は、いつしか僕の屈斜路ライフに欠かせないものになっていた。

畑の隅っこで、お茶飲みながら談笑するのが好きだった。

 

自治会の役員になった時、

地域のお葬式の時、

社会人としての対応に迷った時、

 

何かに迷った時、のぉさんにいろいろ教えてもらった。

そんなおじさんだから、みんなに慕われて、地域の中でも要な存在で、みんなのこと考えられる人で、たまにいやらしいこと言ってみたり(笑)、生き方に筋が通っていて、頼りになる存在。

 

だった。

 

家の前にたくさんの車が集まってきていた。

嫌な予感がした。

玄関には黄緑色の壁掛けのような…。

あまり見たくない、あってほしくない、見間違いかもしれない…。

 

小さな田舎の小さな研修センターに、溢れんばかりの車が集まった。

真っ暗な夜の道を照らすヘッドライト。

指定された時間を目指し、町から屈斜路に向けて数珠つなぎの車が走ってくる。

不謹慎かもしれないが「きれいだなぁ」と思った。

人が人を想い、動く。

素敵な灯だと思った。

 

僕が屈斜路の親父のように勝手に思い、慕ってきたおじさんが亡くなった。

おじさんには本当にいろいろな大事な僕の核となることを教わった。

僕はこれからどうやって生きていくべきか。

そういうことを考えて、思うところがあれば形にしていかなければいけない年ごろなんだということを思った。

 

今までお世話になりました。

ゆっくり休んでください。

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

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